突然のニュースに、胸がざわめいた
「SHISHAMOが活動を終了する」──そのニュースを目にしたとき、胸の奥がざわめいた。
バンド名を知らない人もいるかもしれない。
けれど、彼女たちの音楽に支えられてきた人は数えきれないほどいるだろう。
SHISHAMOは、神奈川県川崎市で生まれた3人組ロックバンドだ。
女子高生の頃に組んだ軽音楽部バンドが、気づけば日本中のライブハウスを沸かせ、
青春の代名詞のような存在になった。
彼女たちが紡ぐ歌は、派手さや技巧よりも、ありのままの感情を大切にしていた。
「好き」「寂しい」「もう戻れない」──そんなシンプルで切実な言葉たち。
だからこそ、聴いた人の心に真っ直ぐ届き、思い出と一緒に胸の奥に残り続けてきたのだ。
「解散」ではなく「活動終了」という選択
今回の発表で印象的だったのは、「解散」ではなく「活動終了」という言葉を選んだことだ。
これは単なる表現の違いではない。
「もう二度と集まらない」と扉を閉ざすのではなく、「一度物語を完結させる」という柔らかさを感じさせる言葉。
その選択には、彼女たちの誠実さが表れているように思う。
ファンの青春を共にした自覚があるからこそ、
あえて突き放さない言葉を残したのではないだろうか。
「また、いつかどこかで会えるかもしれない」──そんな余韻を、彼女たちは残してくれた。
私たちの青春とSHISHAMO
思い返すと、あの頃、教室の隅でイヤホンから流れてきたSHISHAMOの曲に、どれだけ救われただろう。
失恋して涙をこらえながら帰った夜も、友だちと笑い合った放課後も、彼女たちの音楽がそっと寄り添っていた。
「恋する」「憧れる」「諦める」──
そんな揺れ動く心を、彼女たちはまるで日記のように歌ってくれた。
そして聴き手は、自分自身の物語と重ね合わせていた。
だからこそ今、多くの人が「青春が終わってしまう」と感じているのだ。
バンドの活動終了は、単なる音楽ニュースではない。
それは、私たち一人ひとりの中にある記憶とつながっている。
地元・川崎でのラストライブ
活動終了の日はすでに発表されている。
2026年6月、地元・川崎の等々力陸上競技場でラストライブが開催される。
「始まった場所で終える」──この選択も、どこまでもSHISHAMOらしい。
大きなドームでも海外ツアーでもなく、地元でのラスト。
その風景を思い浮かべるだけで、胸が熱くなる。
きっと当日は、笑いあり、涙ありのライブになるはずだ。
数万人の観客が「ありがとう」と「さよなら」を同時に叫び、彼女たちの音楽と共に青春をもう一度駆け抜けるのだろう。
「活動終了」が教えてくれること
音楽は不思議だ。
ひとつのバンドが活動を終えても、その歌は消えることはない。
むしろ時間を経るごとに、聴く人の心の中で新しい意味を帯びていく。
私たちはこれからも、何かに挫けそうになったとき、SHISHAMOの曲を聴き返すだろう。
「この気持ち、歌ってくれていたんだ」と、再び救われるだろう。
活動が終わっても、音楽は終わらない。
彼女たちが残した歌は、これからもずっと誰かの青春を照らし続ける。
青春の終わりは、新しい始まり
活動終了のニュースは、確かに寂しい。
けれど同時に、それは新しい物語の始まりでもある。
メンバーはそれぞれの道を歩み出し、私たちもまたそれぞれの人生を進んでいく。
「終わり」とは「区切り」であって、「喪失」ではない。
彼女たちが最後に伝えてくれたのは、そんな前向きなメッセージなのかもしれない。
心に残るもの
最後に、ひとつの場面を思い出す。
まだ彼女たちが武道館に立つ前、小さなライブハウスで観たSHISHAMOの姿。
汗をかきながら全力で歌う彼女たちを見て、「音楽ってこんなに真っ直ぐでいいんだ」と思った。
あのとき感じた衝撃は、今でも色あせない。
そして今回のニュースに触れて、改めて思う。
──青春は終わっても、心に残る音はずっと鳴り続けるのだ、と。
結び
SHISHAMOが残してくれた音楽は、これからも私たちの生活に寄り添ってくれる。
笑った日も、泣いた日も、立ち止まった日も。
その歌声は、青春の記憶とともに生き続ける。
「ありがとう、SHISHAMO」
「さよなら、SHISHAMO」
そしてまたいつか──。
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